「まだ聞こえてるから大丈夫です」
お店でお話をしていると、こうおっしゃる方は本当に多いです。
ご本人としては、「まったく聞こえないわけじゃないし、まだ困っていないから様子を見たい」というお気持ちなのだと思います。
日常生活は送れているし、まだ補聴器なんて早いかな――。
そう考えるお気持ちは、とてもよくわかります。
ただ、専門家の立場からお伝えすると、この「まだ大丈夫」がいちばん危ないサインです。
- 完全に聞こえなくなってから初めて動く
- 家族や周りの人に何度も言われて、しぶしぶ来る
このタイミングだと、「できること」がかなり限られてしまうケースが少なくありません。
なぜかというと、「耳の問題」だけではなく、「脳の問題」になってしまっていることが多いからです。
このページでは、
- 難聴を放置すると脳の中で何が起きるのか
- どんなふうに生活や人間関係に影響していくのか
- どのタイミングなら「間に合いやすい」のか
を、できるだけ専門用語を使わずにお話しします。
耳と脳の役割分担や「言葉のアンテナ」の詳しい仕組みについては、すでに公開している
「声は聞こえるのに、言葉がわからない」のはなぜ? 脳の“言葉のアンテナ”の状態をチェック
の記事でまとめていますので、ここでは「なにが起きて、どう困るか」の部分に集中してお伝えします。
「まだ大丈夫」のうちに読んでいただけたら、それがいちばんの理想です。

①. 「聞こえる」と「わかる」は、別の力
まず最初に、押さえておきたいポイントがひとつあります。
「音として聞こえること」と
「言葉としてわかること」は、実は別の力だということです。
- 耳でキャッチする「音の強さ」や「音の高さ」
- 脳で処理する「言葉の聞き取り」や「意味の理解」
この二つは、似ているようでまったく違う働きをしています。
耳は、いわばマイクのようなものです。
脳は、そのマイクから送られてきた音を「これは言葉だ」「これは雑音だ」と仕分けして、意味をつけてくれるコンピュータのようなものです。
難聴を放置すると、耳だけでなく、この「脳のコンピュータ」のほうにも変化が起きてきます。

②. 放置すると、脳の「言葉のアンテナ」がさびていく
脳には、「言葉を聞き分けるアンテナ」があります。
専門的には「聴能」と言ったりしますが、ここではわかりやすく「言葉のアンテナ」と呼びます。
音としては聞こえているのに、
- 早口になるとついていけない
- 騒がしい場所で会話がわからない
- ところどころ抜けて、何を言われたか全体としてつかめない
こういった状態は、この「言葉のアンテナ」の働きが弱ってきているサインです。
このアンテナは、ふだんの「聞く経験」を通して、少しずつ育っていきます。
ところが、聞こえにくさを放置して、「しゃべっている言葉」がちゃんと届かない時間が長くなると、脳はこう考え始めます。
「ここはがんばってもよく聞こえないから、省エネしよう」
その結果、
- 細かい音の違いを聞き分ける力が落ちる
- 必要な言葉と不要な雑音を分けるのが下手になる
- 聞き取れないことに慣れてしまう
といった変化が起きてきます。
この「慣れ」がやっかいで、一度こうなってしまうと、あとから音をしっかり入れても、脳がなかなかついてこられなくなってしまうのです。
イメージしやすいように、「足のケガ」を例にお話しします。

③. 足のケガと同じ。「動かさない期間」が長いほど戻りにくい
たとえば、足を骨折してギプスで固定したとします。
1週間くらいなら、ギプスを外して少しリハビリをすれば、元のように歩けるようになるでしょう。
では、半年間まったく足を動かさずにいたらどうでしょうか。
いざギプスを外して立ち上がろうとしても、
- 筋肉が落ちていて、体を支えられない
- 関節が固まっていて、思うように曲げ伸ばしできない
- 「歩く」という動きそのものを、体が忘れている
といった状態になってしまいます。
この場合、リハビリには長い時間がかかりますし、年齢によっては「完全に元通り」は難しくなることもあります。
耳と脳の関係も、これとよく似ています。
- 耳から言葉がしっかり入ってこない状態が続く
- 脳が「言葉をがんばって聞き取る」という仕事をサボり始める
- 結果として、「言葉を聞き分ける力」が衰えてしまう
こうなってから補聴器をつけても、「音」は入るようになりますが、「言葉としてわかる」まで戻すには、かなり時間がかかったり、年齢によっては限界が出てきます。
「聞こえなくなったら補聴器をつければいい」というイメージを持たれている方は多いのですが、実際には、
という使い方のほうが、よほど大事なのです。

④. 世界的な目安は「40dB」から
「そうは言っても、まだ日常生活は送れているし…」
そう思われるかもしれません。
ひとつの客観的な目安として、世界保健機関(WHO)のガイドラインがあります。
WHOでは、成人の場合、聴力が「40デシベル(dB)」より悪くなったら補聴器の使用を推奨しています。
「40dB」と言われてもピンとこないかもしれませんが、これは日常感覚でいうと、
- 普通の会話はできるけれど、小さな声やひそひそ話は聞き取りにくい
- 周りが少しざわつくと、会話についていきにくい
- テレビの音量を、家族よりも少し上げたくなる
だいたいこのくらいのレベルです。
つまり、「まったく聞こえない状態」ではなく、「ふつうの声での会話が聞き取りにくくなってきた状態」で、すでに世界的には「様子見ではなく、きちんと対策を考えましょう」というラインを超えている、ということになります。
ここで大事なのは、
- 「40dBを超えたらもう手遅れ」という話ではない
- 「40dB未満なら何もしなくていい」という意味でもない
ということです。
(日本と世界では、平均聴力の計算方法が違う場合があります。詳しくはおたずねください。)
あくまで、
- このあたりから、脳や生活への影響が目立って増え始める
- だからこそ、「まだなんとか聞こえている」うちに動いたほうが、後のリハビリが楽になる
という目安として、頭の片隅に置いておいていただければ十分です。
続きの「その2」では、
- 難聴を放置したとき、家族や生活にどんな影響が出やすいのか
- 認知症リスクとの関係や、具体的な原因
- 当店でできるチェックや対策
についてお話しします。
まだ聞こえているから大丈夫? ①放置したときの影響・認知症リスクと当店でできること へ続く